共病生活という生き方。そして死の準備が教えてくれたこと

共病生活という生き方。そして死の準備が教えてくれたこと
こんにちは。講演家のニーナヒデヒコ(本名:新名秀彦)です。
前回は、死を身近に感じる中で、なぜ自分だけがではなく、これからどう生きるかを考えるようになったことをお話ししました。
今回は、そこから私がたどり着いた
共病生活という考え方、そして死を見つめた先で進めた現実的な備えについてお話しします。
病気と戦うだけでは、心がもたなかった
がんと向き合うとき、よく病気と闘うという表現が使われます。
私自身も、最初はそう考えていました。
でも実際に転移を経験し、抗がん剤の副作用に苦しむ中で、その言葉だけでは自分を支えきれなくなっていきました。
戦って、勝つ。
それが理想です。
ですが現実は、そんなに単純ではありません。
治療をしても、思うように体が動かない日もある。
気持ちが前を向けない日もある。
病気を完全に切り離して生きることができない時間が、たしかにあるのです。
そんな現実の中で、私は思うようになりました。
病気をただの敵として見るだけではなく、
病とともに生きるという考え方が必要なのではないか、と。
共病生活という考え方にたどり着いた
そこで私がたどり着いたのが、共病生活という考え方です。
病気を肯定するということではありません。
苦しみを美化するということでもありません。
がんは外から来た敵ではなく、もともと自分の細胞の一部。
その原因を過去の自分の習慣と受け止め、反省し、
「ごめんね」と向き合いながら、がんと和解して生きていく。
がんがあるから人生が終わるのではない。
病気がある中でも、考え、選び、笑い、誰かとつながりながら生きていける。
「病気をなくしてから生きる」のではなく、
「病気がある今をどう生きるか」。
この考え方は、私にとって大きな転換点でした。
リビング・ニーズ特約を、自分が受け取る側になった
そうした中で、私は現実的な備えも進めました。
元・生命保険募集人として、お客様に何度もご説明してきた
リビング・ニーズ特約。
その保障を、今度は自分自身が受け取る側になったのです。
お伝えしてきた立場の自分が、受給する立場になる。
その経験は、何とも言えない複雑なものでした。
けれど同時に、保障があることで選べることが増える現実も、身をもって知りました。
病気になると、治療のことだけではなく、生活のこと、お金のこと、家族のことまで、一気に現実として押し寄せてきます。
その中で、経済的な備えが心の自由につながることを、私は自分自身の人生で実感しました。
遺影を撮り、遺書を書き、身辺整理をした
余命を意識する中で、私は死の準備も進めました。
遺影用の写真を撮り、遺書を書き、身の回りの整理をしました。
葬儀で流すための動画も撮影しました。
残される家族が困らないように。
少しでも迷惑をかけないように。
最後自分の言葉でお礼を伝えたい
その一心でした。
正直に言えば、簡単なことではありませんでした。
自分の死を前提に準備を進めるのですから、苦しくないはずがありません。
でも、その準備をしたからこそ、私は逆に思えたのです。
「死ぬ準備ができた。ならば、残された時間をどう生きるか」
死を擬似体験したことが、私に生き方を問い直させてくれました。
共病生活は、あきらめではない
共病生活という言葉を聞くと、
受け入れるということは、あきらめることですかと思う方もいるかもしれません。
でも、私にとって共病生活は、あきらめではありません。
現実を直視しながらも、自分の人生をあきらめないこと。
苦しみの中でも、自分らしさを手放さないこと。
病気があっても、人生のハンドルを自分で握り続けること。
それが、私の考える共病生活です。
この経験が、今の私の発信や講演活動の原点になっています。
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